壊すも砕くも
2006年 05月 18日
1年に一度ぐらい同じ事を書く癖があるようです。
というか、気持ちのアップダウンの周期なんでしょうかね。
自分が好きなものを あからさまに否定されるのがとても苦しくて嫌。
けれども自分も他人が好きなものを否定している時があるからどっちもどっち。
日記だからどんな愚痴をつけようと、他人の悪口言おうと勝手じゃ無いのと言うけれど、一目に付く=公開している以上、人に見せられる限界ってあるんじゃないかしら。
自分が好きなものを否定されて楽しい人は居ますかね。
他人が好むものを否定する人って、それを否定する事によって否定したものなんか私は好きじゃ無い、そんな低俗なものを好まない自分はその対象を好きな人よりも優れている、勝っている。と、そんな考えなんだろうね。
事実私もそういう誘惑にかられて過ちを犯す事が多々あるし、人を傷つけた事だってたんまりとある。
寄らない方がいいわよ、見ない方がいいわよ、だって貴方が好きなものをズタズタに否定しているんだから。
なんて注意書きがあっても、好きな人は何故それが嫌われているのか理由が知りたくなったりしないかしら。
その『何故』が分かれば、それを克服して否定する人に立ち向かえる、あわよくば肯定にひっくり返せるかも。なんて淡い期待を持ってしまう。
けれども、そんな事は起こりやしない。
否定する人は、否定したいからその対象を突いているのだから。
肯定する気なんてさらさらないのだから。
理由も無くただ壊すだけ。砕くだけ。
決して分かり会えない事は無いだろうけど、分かり会える確率ってなんぼぐらい?
人の心を否定して、喜ぶ人間が、その見下している他人から何かを得ようとするかしら?
見た人が悪いだの、傷付いた人が悪いだの、何でもかんでも自己責任にすり替えて。
自己責任の前に他人に無闇矢鱈と危害を加えないほうが先でない?
刃物を振り回す人を止めようとして切られた人間って悪いかしら。
まあだからといって全ての刃物に規制をかけても使い勝手が悪い。
ああ、ジレンマ。
なんてね。人のことは言えないけれどもね。
私は心が狭い、と最近実感というか反省というか。
他人に厳しく自分に甘いのね。
これってかなり迷惑千万、近付きたく無い人間の最上位に位置しちゃいますねぇ。
というか、気持ちのアップダウンの周期なんでしょうかね。
自分が好きなものを あからさまに否定されるのがとても苦しくて嫌。
けれども自分も他人が好きなものを否定している時があるからどっちもどっち。
日記だからどんな愚痴をつけようと、他人の悪口言おうと勝手じゃ無いのと言うけれど、一目に付く=公開している以上、人に見せられる限界ってあるんじゃないかしら。
自分が好きなものを否定されて楽しい人は居ますかね。
他人が好むものを否定する人って、それを否定する事によって否定したものなんか私は好きじゃ無い、そんな低俗なものを好まない自分はその対象を好きな人よりも優れている、勝っている。と、そんな考えなんだろうね。
事実私もそういう誘惑にかられて過ちを犯す事が多々あるし、人を傷つけた事だってたんまりとある。
寄らない方がいいわよ、見ない方がいいわよ、だって貴方が好きなものをズタズタに否定しているんだから。
なんて注意書きがあっても、好きな人は何故それが嫌われているのか理由が知りたくなったりしないかしら。
その『何故』が分かれば、それを克服して否定する人に立ち向かえる、あわよくば肯定にひっくり返せるかも。なんて淡い期待を持ってしまう。
けれども、そんな事は起こりやしない。
否定する人は、否定したいからその対象を突いているのだから。
肯定する気なんてさらさらないのだから。
理由も無くただ壊すだけ。砕くだけ。
決して分かり会えない事は無いだろうけど、分かり会える確率ってなんぼぐらい?
人の心を否定して、喜ぶ人間が、その見下している他人から何かを得ようとするかしら?
見た人が悪いだの、傷付いた人が悪いだの、何でもかんでも自己責任にすり替えて。
自己責任の前に他人に無闇矢鱈と危害を加えないほうが先でない?
刃物を振り回す人を止めようとして切られた人間って悪いかしら。
まあだからといって全ての刃物に規制をかけても使い勝手が悪い。
ああ、ジレンマ。
なんてね。人のことは言えないけれどもね。
私は心が狭い、と最近実感というか反省というか。
他人に厳しく自分に甘いのね。
これってかなり迷惑千万、近付きたく無い人間の最上位に位置しちゃいますねぇ。
by ayafuji_rie
| 2006-05-18 23:01
| こまじめに雑文